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3.11

2011/03/24 22:53

 

たくさんの、ほんとうにたくさんの被災した方々を思い、お祈り申し上げます。

瓦礫の中で、放射線の中で、必死の作業を続ける方々に敬意と感謝を記します。

 

1週間、世界が固唾を飲んで日本を見つめた。

 

3月11日、僕は大手町にほど近い、欧州系企業の日本法人であるお客さんのオフィスで

打ち合わせ中だった。はじめは「デカいなあ」などと悠長に構えていたが、益々大きく、

長く続く揺れに、誰からともなく会議室のテーブルの下に潜り込んだ。

 

窓の外では、近隣のビルがゆらゆらと揺れ、眼下の首都高がストップしている。

 

丁度その直前に本社から訪れた幹部は、オフィスに呆然と立ち尽くしていたが、その足で

成田へ直行。本国にとんぼ帰りした。

 

交通網が麻痺した丸の内を歩き、とりあえずコーヒーでも飲もうと入った丸ビルの

エレベーター前に黒山の人だかりができていた。モニターが中継を流している。

 

津波が町を押し流していく様に、皆ただ声もなくぽかんと口を開けて見上げている。

 

そのときまだ誰も、その後の展開を予想した人は居なかったんじゃないか。なにか

とんでもないことが起きている...という感覚は、そこに居る皆が無言の内に共有していた。

 

電話は繋がらない。電車も動かない。

 

辛くも捕まえたタクシーで横浜へ向かうも、有楽町から実に6時間。どこもかしこも酷い

渋滞。窓の外には延々と続く、人、人、人、の列。

 

家の中は、多少物が落ちて割れたくらいで済んだようだった。ただ、壁と天井にクラック

が入っている。免震構造のはずなのに。免震構造故なのか。

 

週末は、仕事が片付かずオフィスに出たり、かねてから約束していた旧友の新居を

訪れたりしていたが、どうも原発が尋常ではない事態に陥りかけているらしい、という

印象が深まる。

 

水素爆発の起きたあたりから、海外にいる友人たちより立て続けに連絡が入る。

安否の確認というよりも、一刻も早く日本を出てくれ、せめて東京を離れてくれ、と

いった警句がほとんど。どうも、海外メディアの論調と日本のそれとにギャップがある

らしいな、と感じ始めていた。

 

週が明けて、金融、IT、メーカーといった外資系企業に勤める友人たちから駐在員が皆、

本国への帰国命令を受けて成田に向かっている、関西支社まで退避しているといった

情報が入ってくる。どうも、やはり、ただ事ではないようだ。

 

オフィスには出ているものの、どうにも仕事に身が入らない。

 

そして、東電の会見。あれはなかった。なにがなんだかちっとも分からない。私たちは

なにか隠しているんです、と言わんばかりの噛み合わなさ。あるいは、本当になにも

分からないんです、という状態なのか。

 

そうこうする内に、某大学で教鞭を取る友人の親父など、複数のアカデミック方面

からもアラートが出始めた。

 

容器が爆発して吹き飛ぶようなことがあれば、東京は被爆圏内に入る。

 

本当かよ。それマジでヤバくないか。さすがにそれは...。しかし、そりゃないでしょ

という事態が次から次へと起こり、完全に原発4基の制御は失われているも同然に見える。

 

茨城の実家の母と妹を、横浜に呼んだ。病院勤務の父は、病院そのものに退去命令が

出るまでは現場を後にする訳にはいかない、と言う。そりゃそうだろう、が、しかし...。

 

3号機はプルサーマル機である。プルサーマル機は、燃料にプルトニウムを用いる。

他の3基はウランのみだが、3号機だけはプルトニウムとの混合燃料を使っている。それ故、

万が一爆発でもしようものなら、その威力、毒性は他3基の比ではない。

 

中性子線が検出されたとの報道が出た。中性子線?核分裂が起きたときに出るもの

じゃないのか。核分裂反応が完全には止まっていないのか?それともなにかの拍子に

再開してしまったのか?

 

とどめは、乳幼児は大人の数十倍から数百倍もの確率で発癌し易いとの報。ウチの

娘は1歳と4歳だ。万が一のことを考えない訳にはいかない。既に、万が一なはずの

ことが連鎖的に起きているのだ。

 

連休に僕らは、羽田から飛んだ。

 

首都圏を離れて、いかに異様なテンションが空気中を満たしていたかを感じた。挨拶

代わりにその時、どこでどうしていたかと話す。ネット、テレビ、聞こえてくる人の会話、

車内や店内のラジオ、新聞、すべてが地震、津波、原発、地震、津波、原発...。

 

これが必要だ、これを買え、あれが足りない、あれを買え、あそこがヤバい、あそこを

出ろ...。

 

先週1週間、日本は本当に存亡の危機に立たされていたのではないか。Fukushima50

を始めとする人々が、決死の作業で、その淵から救ってくれたのではないか。

 

---

 

9.11同様に、3.11を境に、日本も世界も変わるだろう。

 

これまで「起こるかもしれない」という前提だった事態が「既に起こった」事態になること

の意味は決して小さくはない。

 

---

 

一昨年に読んだコラムが頭を離れない。ここに一部抜粋したい。

 

リーマンショック以降、低落した株価が持ち直している。いくつかの経済指標が底を打った。

世界経済は最悪の時期を脱したという楽観論が早くも流れ始めた。

 

だが、僕は思う。人類の危機は去っていない。むしろ深まったのだと。

 

理由は今回の恐慌が突き付けた「人間のありよう」を巡る問題は、まだ何一つ解決して

いないからだ。金融危機が我々に問うたことの本質とは、株価の高低やサブプライムローン

の是非ではない。人間の生き方、資本主義において傷付いた価値観や人倫をどう回復

していくかという根源的な問いだったはずだ。

 

例えばパソコンの操作一つで巨万の富を得る人がいる一方で、額に汗して働いて、生涯

貧しいままの人がいる現実をどう考えるのか。半径500m以内に路上に寝ている人がいる

のに、自分一人豊かな生活をすることが幸福なのか。今の事態をアメリカや一部の企業の

せいにして終わらせるのではなく、一人ひとりが腰を低くして、背負ってきたモラルや

生き方を自問するときだ。

 

寒空の下に見捨てられた人がいるのはおかしい、と異議を唱えたり、抗ったりすることは

無力だと最初から思わされてしまう何かが今の社会にはある。僕が一番恐れるのは、

そんな「無意識の荒み」ともいうべき精神の荒廃だ。

 

「無意識の荒み」 を生むのは「慣れ」だ。危機に直面したとき、この国では為政者も

メディアもすぐに口当たりの良い楽観論でコーティングをする。あるいは日常の延長の

ふりをして、すべてが円満に運んでいると思わせる。やがて、どんな災厄も日常化し、

人は慣れる。シニカルに自他を笑いながら、もはや現実を変えるために立ち上がろうとは

しなくなる。それこそ社会が抱える真の病巣だ。

 

2009.7.8. 日経新聞夕刊 辺見庸

 

---

 

友人がfacebookで指摘していた。福島の原発は東北電力のものではない。首都圏の

電力需要を満たす為に、東京電力が設置した原発なのだ。

 

その事実もまた、なぜか横浜に戻った僕の頭を離れずにいる。

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10 years

2011/01/16 23:42

 

 もうかれこれ10年も前の話。

 
 大学に入学後1ヶ月くらい経って開講した語学のクラスメートにタカシというB-boyがいた。たしか1年ダブってたので自分の1つ上。英語のクラスだったから、みんな下の名前で呼び合う、それでタカシ。
 
 B-boyなんて書くとあれだけど、当時は自分もヒップホップかぶれで(今でも好きで良く聴きます)、一丁前にターンテーブルやミキサーの機材を揃えてDJを気取ったり、ラップのコンビを組んで都内のクラブでライブをしたりと張り切っていたのだ。
 
 タカシはドレッドにレザーのジャケットにポロのジーンズ腰履きにエアフォースワンという直球な格好がとてもしっくりきていて、Panasonicから出ていたShock Waveというイカツい携帯型のカセットプレイヤーで、ブレイクビーツを聴きながらキャンパスを闊歩していたのを、男ながらに「かっこいいヤツだな」と眺めていたことを良く覚えている。
 
 英語でプレゼンをするという講義のときに、フリースタイルを英語でやると宣言して、突然フリースタイルを始め、それが(ライムの内容からして)本当に即興で、もちろん英語で、クソ堅く韻を踏んでいて度肝を抜かれた。
 
 自分も、ある英語のラップの曲の歌詞についてプレゼンしたんだけど、タカシもその曲(Wu-tang Clan"C.R.E.A.M")が凄い好きだ、と言って、でもその歌詞の裏にはこんな意味もあるんだよ、とコッチが気付かなかった指摘をしてくれたり、そんなこんなで仲良くなっていった。
 
 その秋だか冬くらいに、この曲でインディーズからデビューするんでよろしく、とデモテープを渡された。By Phar The Dopestというユニットで「切り札のカード/伝導師」というダブルA面。
 
 その伝導師という曲のタカシのラップ、フロウライムを聴いて参ってしまった。こりゃ叶わん。しかも、タカシはトラックも自分で作っていて、それがまた格好良い。自ら"フック番長"などと名乗ることもあったけど、さもありなん。キャッチーさとタイトなブレイクビーツが絶妙なブレンドで組み合わされ、素直にメッチャ良いじゃんコレ!と思って、自分のDJでも良く掛けていた。
 
 学期末も近付く頃、試験の日程と、今度リリースされるコンに収録する曲のレコーディングが被ったとかで、先生と交渉に。そこで、「オレはこれでマジに食って行こうと思っている。でも卒業もしておきたい。だから特別に追試を受けさせてくれ」と頼み込むその姿に、へぇ〜タカシは本当に日本でヒップホップで食っていくつもりなのか...と驚いたものだ。
 
 なんとか追試を認めてもらって、良かったじゃんみたいな話をしていたときに、出てきたのが「夢は日本武道館でfeaturing吉田美和でライブをやること」というビッグな一撃。しかし、武道館は叶えちゃったもんな、しかもワンマンで。
 
 件のコンに入っていたのが「カンケリ」という曲で、それはタカシを含め、別々に活動してた三人が初めてトリオを組んだ記念すべき一曲。その曲名から取ったユニット名がKICK THE CAN CREW。
 
 まだ、'97年とか'98年。池袋のBEDというクラブでレギュラーのイベントを打っていて、時々ゲストで入れてもらっていたんだけど、200人も入ればパンパンな箱が、ドリンク一杯頼むのも至難の技ってくらい本当に芋洗いの繁盛っぷり。しかも、やたら可愛いコ率が高かった...。
 
 そこからの快進撃は、たぶん皆さんもご存知の通り。今や押しも押されぬRap Starだもんなあ。
 
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 自分と相方で組んでいたラップコンビは、卒業と同時になし崩し的に自然消滅しちゃったけれど、それでも20世紀末の2、3年間はやれ渋谷だ青山だ吉祥寺だ横浜だと各地に赴いてはライブを敢行し、呼ばれてもいないのに勝手にマイク掴んだりして、まぁ弾けちゃってた訳です。
 
 野郎2人のラップばかりでは味気ないっていうんで、同級生で歌がメチャメチャうまかったコにゲストボーカルを頼んで1、2曲作ってみたりもした。
 
 学内で時々開催していたイベントで、そんな曲を披露したりもして、その時にタカシも遊びにきてくれて、飛び入りでフリースタイルかましてくれたなんてこともあったな。今思えば、なんとも贅沢なメンツ。
 
 そのコの歌が上手いっていうのは尋常ではなくて、アカペラのサークルに所属していたけど、その中でも別格の歌唱力。プロデビューの話もあるとかってくらいのもので、本当にどこかの事務所に所属してボイストレーニングとかもやっていたはず。
 
 でも、ただ歌が上手いってだけでデビューできるような話ではないのは、なんとなく分かるってもの。事務所の売り出し方とそりが合わないとか、なかなかチャンスがモノにならないというような話を時折耳にしていた。
 
 ぼちぼちキャンパスライフも終盤に差し掛かり、みなが就活就活と浮き足立ち始める頃にも、そのコは一切就職する気はなく、歌でやっていくんだ、と我が道を歩み始めていた。
 
 自分が、かなり早い時期に内定をもらっていた代理店から、ちょっとした事情で内定取り消しを食らったときには、自作の詩を一編送ってくれて、なんだかそれが自分の身から絞り出すような、ある意味ソウルのような詩で、凄ぇ鬼気迫る詩を書くんだなぁと感じたそのメールは、今でも大事に保存してある。 
 
 お互い卒業して3年後くらいか。仕事にかまけてやり取りもそんなになくなっていた頃に、なんか今までにないエスニック×昭和歌謡のような一種独特なアプローチで、でも聴き紛うことなきこのボーカルは...!と街中で聴いてビビらされたのが、デビュー曲でいきなり大ヒットした「もらい泣き」。 
 
 歌も凄いけど、ホントに凄いのは詩、なんだよな。
 
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 内定を取り消されて、就活はゼロからやり直し。それで、もう大手は行ってやんないとヘソを曲げていたので、同じ広告 / コミュニケーションを扱う会社ではあるけれど、当時まだ20人に満たないベンチャーでしかもまだ黎明期にあったインターネットを領域とする会社に第一志望をセット。
 
 面接に行ったら、大袈裟ではなく、ほぼ全社員のデスクの下には寝袋が。トイレを借りたら、ほぼ全社員分の歯磨きセットが鏡台にズラリ。みな若く、決して洗練されている感じはないけれど、狂躁のような熱気というか、新しいなにかが沸き起こるときのむわ〜っといううねりが聞こえてくるよう。
 
 首尾よく社長面接まで漕ぎ着け、質問に応えている内に、どういう拍子にか、話題は日本のヒップホップ業界へ。アレは格好良かった、今はコレが熱い、なんて話をしていて、今度ソレ貸しますよ、などと言っていたら、「筒井くん、これから飯食いに行こうか」と社長。へ?と思いつつ、付いて行った先が内定者を集めての食事会だった。
 
 今でこそ、日本を代表するネットベンチャーの雄で、容易には想像できないけれど、その頃はダボっとしたTシャツにチノパン腰履きにティンバーランド、なんて格好で休日出勤していたんですよ。
 
 今日でもヒップホップが凄く好きで、amebaというサービスの一環であるamebreakで、陰ながらヒップホップの業界をサポートしていたりもする。
 
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 10年経って変わったこともあれば、10年経っても変わらないこともある。
 
 10年前の、少し自慢なような、何やら悔しいような、HIPHOPが呼び込んだ不思議なご縁の話。
 

 

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「うそ」や「夢」は、生きている世界を果てしない大きさに広げてくれる。

2010/09/29 00:47

 

 芸術が作り出す世界は、ものの実態ではないが、生活空間や人間に潤いを与えてくれるもの。この空想と想像力がなければ、人は幸福や夢をつくり出せず、科学の発達もない。人と人を隔てる壁にも、一枚の絵を掛ければ心の窓を開けることができる時もある。

 

 藝大の大先輩にして画家でもある、絹谷幸二さんの言葉です。

 

 つまりは"イメージの持つ力"ということになるかと思います。「人と人とを隔てる壁にも...」のくだりは、ややロマンチックに過ぎるきらいはありますが、なんとも素敵なフレーズですよね。

 

 「家を捨て、庭を出た芭蕉が、大自然の中に自分の庭を見、俳句によって大自然に自分の庭を作った」という、都築響一さんの文章も同義でしょう。

 

 凄まじい映画を観ました。

 

瞳の奥の秘密

 

 アルゼンチンの映画で、今年のアカデミー賞の最優秀外国語映画賞を獲得しています。

 

 25年前のある事件を振り返る元判事の回想からサスペンスの趣きで始まるこのドラマは、事件そのものの謎解きを基調に、かつての上司である女性との淡いロマンス、同僚の飲んだくれ野郎との友情などを絡ませつつ、この作品の大きな魅力でもある気の利いたブラックジョークをアクセントに、テンポ良く展開していきます。

 

 後になって思えば、そこここに周到に計算された物語のピースがはめ込まれているのですが、ラテン独特のノリというか調子の良さで、割合と気を楽にしたままに、犯人をあと一歩と追い詰める段まで観客を連れてきます。

 

 そして、空撮から始まるサッカースタジアムでの追跡劇を境に、画面は一気に緊迫し始め、次第になんとも言えない物々しい空気を帯びてきます。

 

 ラスト30分の怒濤の展開で、物語の最後の3つのピースが、カチリ、カチリ...と音を立ててはまって行くような感覚に身を震わせながら、人間の底知れぬ業、そして愛をほぼ同時にスクリーンから照射され、激しい感情の起伏に自分は何度も鳥肌が立ち、しばらく席から立ち上がることができませんでした。

 

 ハッと気づいたとき、なにやらとんでもない所まで自分は連れてこられてしまっているではないか、と驚愕しつつ、これぞ映画の醍醐味!これぞ「ウソ=イメージ」の持つ無限の可能性!映画にはまだまだ人の胸を鷲掴みにして揺り動かす荒々しい力があるんだ!と叫び出したいような想いに捕われていました。

 

 イメージ、想像、夢、この世に実態は存在しないからこそ、この世界を押し広げる力を持っている。当たり前と言えば当たり前の、そんなことに改めて気付かせてくれた、近年稀にみる秀作です。

 

RIP 今敏さん、小室直樹さん

 

 

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資本を集める能力、芸術を生み出す力

2010/02/21 16:03

 

 これは、かのジョージ・ルーカスがプロデューサー、監督に必要な要素として挙げていた言葉です。しかし、このご時世...、なかなかおカネを集めるにも、作品を生み出すにも厳しい状況が昨年あたりから顕著になってきているようです。

 

 昨年のムービーアイ(ミリオンダラーベイビー、クラッシュ等:負債総額43億円)、ワイズポリシー(ブロークバックマウンテン等:負債総額6億円)に続き、今年に入ってシネカノン(フラガール、パッチギ!等:負債総額47億円)まで倒産してしまい、まさに"ミニシアター系冬の時代"の様相を呈しています。

 

 業界全体で100億円近いおカネが焦げ付いている訳で、中小零細企業やフリーで働く人も多い世界であることも手伝って、皆さん暗~い顔をしています。どういうことかと言いますと、100億の内の大半はIPO目当てで投資家が貸し込んだおカネとか銀行融資なんだとは思いますが、それでも億単位のお金が、作品上映の為に働いてきたポスターやチラシ・webサイトのデザイナーや編集者、プロモーションを担当したプレスや代理店、更には試写会場や予告編制作会社などなど、映画の製作/公開に絡んだ業務において、これらの会社と取引のあった所に未払い金となって襲いかかっている訳です。こうなると、おカネの流れに目詰まりを起こしてしまっている状態で、「ミニシアター系/インディペンデント系=リスクの対象」としてしか捉えられなくなってしまい、ただでさえ景気が悪いのに、取りっぱぐれる可能性のある独立系とは仕事しないよ、おカネ出さないよ、となるのは想像に難くありません。

 

 この状況を指して、「独立系の映画業界には二番底がやってきた...」と仰っている方もいて、さもありなんといった有様です。「アバター」はバカ当たりしてるのになぁ。

 

 そんな中、大量宣伝/大量消費の奔流から作家性/芸術性の高い作品を掬い出し、適正規模で長くじっくり上映して興業としても成立させよう、という(大まかな)コンセプトの下に、全国のミニシアターが手を携えていわば"第3の興業網"を形成できないか、という取組が始まっており、僕も関わらせてもらっています。

 

 その一環として、若手注目株監督を選定して全国の劇場で掛けちゃおうじゃない!という「New Director/New Cinema」の第1回に、藝大院の後輩でもある真利子哲也くんが選ばれ「イエローキッド」という作品が順次全国公開となっています。

 

 これが、オモシロイ!藝大の卒業製作作品として200万円&2週間で撮ったらしいのですが、いやぁそれでこれだけの作品が出来るってのが、小気味良いし、勇気付けられるし、嫉妬もするし、ヤられちゃいました。

 

 ハーモニー・コリンが好きだって言ってたけど、KIDS(米)とか憎しみ(仏)とかトレインスポッティング(英)とか、「フードパーカー被ってイラついてるストリートもの」を日本で撮るとこうなるのかな、といった趣きで、例にもれずサントラも格好良し。画面に漲る緊張感は並の作品のそれでは無く、「なんか日本の独立系とかミニシアター系って根暗だし、スケール小せぇし、観に行く気しないんだよなぁ」と思っていらっしゃるアナタを良い意味で裏切ってくれる佳作です。さぁ劇場へ!アナタのお支払いになる¥1,800が次の才能を育むのです!

 

 

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経営とは、クラフト、アート、サイエンスの3つを適度にブレンドしたものである。

2010/01/28 19:57

 

 

 ...というタイトルで、書き終えた投稿がどこかへ消えてしまいました(泣)。消えたって一体どこへ?・・・と問いたいのは私の方で、サイバースペースの藻屑となって漂っているのでしょう。

 

 萎えるな~。

 

 Wu-tangのライブDVDを衝動買いしました。1stからの選曲が結構多くて、そのトラックの色褪せ無さ加減&マイクリレーの切れ味鋭い加減に、ひとり諸手を挙げて大興奮。カメラ9台くらい入ってると思われ、メンバーそれぞれの勝手な振る舞いが確認できてナイスです。

 

 横浜美術館でやってる束芋を3歳の娘と見に行ったら、なにが気に入ったのか「明日もいく~、明日もいこ~」とノリノリなので、2日連チャンで行ってきました。昭和の時代と地続きになってるような団地の描写とか、落ちてるんだけど昇ってるような演出とか、お客さんが作品に足を踏み入れる感覚とか、オモシロイです。知覚がねじれちゃうような体験してみたいヒト、お勧めです。

 

 縁あって試写状を頂き、テリー・ギリアム「Dr.パルナサスの鏡」とウッディー・アレン「夢と犯罪」を観てきました。どちらも必殺仕事人的な監督ですが、Dr.・・・の方はハチャメチャwonderland、夢と・・・の方は、ソフトなタッチで、しかしいずれもどギツい悲劇を物語り、良く出来てます。¥1,800の価値はあると思うので、Dr.・・・は始まってるし、観にいかれてみては。

 

 サントリーのウィスキー「響」を、サントリーのレストラン「響」で、お食事を頂きつつ飲みまくって、いかに新たな手法で売るか、というテーマで好き勝手言う座談会に参加させて頂きました。当然後半に進むに従って、皆さん良い加減に酔っ払ってきて、言いたい放題で自分もかなり暴言吐いていた気がしますが、こんなことでお金までもらえてしまって良いのか!というラッキーな一夜でした。お招き頂いて、ありがとうございました。

 

 

 そんなこんなで、気付けば3期目も(お陰様で)終わり、2人目の娘が生まれ、年が明けてました。今年もよろしくお願い致します。

 

 ※タイトルは、カナダの大学教授の言葉なんですが、本文との関連は、ん~、原稿消えたのと一緒に無くなってしまったようです...。

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本日、完成披露試写やります

2009/12/15 15:29

 

なんでBLOGで告知しないんだ、と多方面から突っ込みを頂きまして...、今日の今日で今更なのですが、お時間許す方は、是非足を運んで頂けると幸いです。会場でお声掛け下さい。

 

お陰様で昨夜は満員御礼だったのですが、その反動で今日は空いちゃうかも知れません。

 


この度、私がプロデューサーを務めております、音楽ドキュメンタリー映画「Live House」が、国際交流基金さんからの助成を得て完成の運びとなりました。つきましては、ささやかながら完成披露試写パーティーを開催致しますので、是非お越し下さい。

 

> http://www.uplink.co.jp/factory/log/003284.php

■会場:UPLINK(渋谷:http://www.uplink.co.jp/info/map.html
■日時:12月15日(火)19時半~
■料金:無料(受付時ワンドリンク制※一杯飲りながらご覧下さい)
■概要:「Live House」とは、そもそも和製英語で、日本固有のハコ文化になります。飲食の脇役として音楽があるのではなく音楽に浸るために酒を出す...。日本独自に発展を遂げたLive Houseという拠点を軸に、世界中でファンを獲得しつつある日本のアンダーグランド・パンクシーンを、気鋭のアメリカ人ジャーナリストが追います。(上映時間:約90分)

 

拙い箇所もあるかとは思いますが、日本のインディーズバンドがインターネットの力も借りながら、世界中のスピードアンテナを持つ若者を捉えつつある現状を、お楽しみ頂けると思います。

 

一人でも多くの皆様にご覧頂けると嬉しいです。会場でお待ちしてます!

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色即是空

2009/05/22 13:06

 

久々のエントリーです。

 

今日は、3篇から。これってきっと同じコトを言っているんじゃあと思うのですが、分かるようで分からない。というか、その境地に果たして俗世間にまみれながら辿り着くことは出来るのでしょうか。

 

たまたま引っ掛かってメモってた言葉を後で読み返してみたら、共通項があるな、と感じたもので、3フレーズ引用します。

 

主観と客観をひとつにし、己を忘れ、無と己をひとつになし、内外打成の一片となる。 (「子連れ狼」より)

 

自分の本心に沿って執着を整理していくと、いつの間にか自分を信じ同時に捨てている。同時だ...分かつことはできない...! (「天」という漫画より)

 

顕在、潜在、双方の意識と能力が働いている中間に、莫大な才を発揮できる秘密の領域があると感じる。 (小説家の多田容子さん)

 

色即是空の概念に凄く近い気がするんですよね。やっぱり武道とか禅とかが、しっくりくる分野なのでしょうか。

 

阿呆みたいに飲んだくれて、もう陽も上がっているのに前後不覚で、迎え酒に生をグッといった瞬間のスッキリ爽快な感覚...ですかね。

 

んなわきゃねえか。

 

 

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Eureka!

2008/08/20 12:50

 

「アルキメデスが風呂の中で『ユリイカ(我、発見せり)!』と叫んだとき、彼は比重の原理を"発見"したのではなく"創った"のではなかったか。まことに一切のロゴスに基づく理論は強烈な創造力による世界の読みであり、非在の現前行為であり、壮大な虚構の創造なのである。」(丸山圭三郎:言葉と無意識)

中学生の頃に、思春期特有の「オレって、世界って、なんだろう、何の為にあるんだろう」といった疑問に対して、親父の書庫の影響もあって哲学書を読み漁っていた時期があります。構造主義とか記号論、言語論、存在論・・・恐らくまだ社会に出ていないし、多感な時期であることも手伝って、抽象的な話に終始しがちな思想の在り様というのが、逆に良かったのかな。ノートなんか取りながら、とても面白がって読んでいた記憶があります。

そのときに「世の中ってこういう風に捉えるのか!」と目から鱗だったのが、上記の一文。世界とは各人の"壮大な虚構の創造"なのだという"読み"は、未だに自分の認識の根本的なところにビルトインされていて、この一文は暗唱できるくらい頭に刷り込まれています。

絶対的な真理があって、それに皆従うべきだ、というある種の原理主義や一神教、YES/NO、勝ち/負け、といった二項対立の図式に全てをあてはめてしまう考え方が、どう見ても立ち行かなくなってきている昨今ですが、欠けているのって要は「世の中って見方によっていろいろだよね」というシンプルな認識なのではないでしょうか。それが「多様性の尊重」という、当社のビジョンにも繋がってくると思うのですが...。

色んな人が居て、色んなことがあるから、世の中って面白い。

性善説に過ぎるかも知れませんが、その基本線は会社としても個人としてもキープしていきたいな、と猛暑の中、考えております。

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我々は、PresidentもChairmanもEmperorもKingも、いらない。

2008/02/28 12:38

 

 我々は、PresidentもChairmanもEmperorもKingも、いらない。我々は、それを根拠には動いていない。我々が信用しているのは、動いているコードとラフ・コンセンサスだけなのだ。(MIT教授 デイブ・クラーク)

 引用元の書籍名がメモってないので、出所不明です。スミマセン。インターネットの世界が有する価値観、判断基準について、業界の重鎮とも称されるMITの教授が語った言葉です。

 確か、(「web進化論」等の)梅田望夫さんや、(ニッポン・インターネットの父と言われる)村井純さんなんかも、言葉は違えど、同じようなことを仰っていたと思います。

 大学を卒業するかしないかの頃なので、8年程も前に出会ったフレーズですが、今でも痺れますね。インターネット凄ぇな!と理屈では無く感じて、いわゆるITベンチャーの世界に飛び込む、きっかけともなった言葉です。

 つまり、絶対的な権力者や確固たる判断の根拠が存在し、全てはその「絶対的なるもの」によって支配されている世界では無く、常に進化し続けているプログラム・コードによって無限の可能性が拓かれ、そこに繋がっている人々すべての意思というか集合知みたいなものによって、大雑把な方向性やルールのようなものが醸成されていく...そんな新しい世界の在り様を、インターネットは提示している、と。

 いや、痺れますよね。

 興奮して、大学の卒業旅行では相棒とシリコンバレーを巡り、意味もなくappleやIntel、HPやyahoo!の本社前で記念撮影をしていたことを思い出します。なにか、今までにないとんでもないコトがインターネットの世界では起こりつつある、全く新しいなにかが生まれようとしてる、そういった大変革の胎動のようなモノを、僕らは体感し、今現在もそれは益々勢いを増して続いている、と感じます。

 SFCに居た当時、まだ教授に村井純さんがいらっしゃって、講義の際に、「走りながら考える、転がしながら考える」と話されていたのも、そういった意味合いの言葉だったのでしょう。

 「多様性の尊重」という当社の理念と共鳴するところが、インターネットの価値観には在る気がして、ブラウザにしてもPCにしても、現状のモノが最終形では全然無い訳で、まだまだインターネットとそこから産み出される「価値」には可能性が詰まっている、そう思うからこそ、やはり「web」も僕らの事業領域には欠かせないフィールドであり、ツールなのです。売上構成的にも、web関連が半分以上なのです。

 ひとつのワードに対する意味、そしてその妥当性みたいなものを、ランキングして固定化してしまうgoogleのような存在は、多様性とは相反する面もあるように思います。あらゆる情報、モノ、ヒトまでもが市場に放り込まれていくトレンドの中で、はじめて「言葉」そのものに、市場という概念を当てはめたのが、googleの(検索連動型広告という天才的仕組の)本質だと思いますが、それでも世界中の知にインデックスを振って、整理してしまおうというその構想と心意気、実現してしまうだけの技術と資本...狂気に近い迫力を感じます。

 ん~、話がとっ散らかってしまいました。まとめることもせず、今日はココまでで、失礼します。

 もうすぐ春ですね~。

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人は、あそぶ存在である。

2007/12/03 17:23

 

 ヨハン・ホイジンガというオランダの学者さんが、「人の本質は、遊びにある」と考察して、発表した論文の一節です。...と言っても、この人の著作を読んだことがある訳ではなく、ただなんとも素敵なフレーズだな、と思い、メモっていた次第です。

 皆さん、遊んでますか?

 週末は、歓送迎会やらイベントやら、なんだかんだで飲んだくれていることが多い私です。ベルリンに旅立った友人夫妻の送別会で、松竹に勤める友人の奥様よりお誘い頂き、先日「ノラビッツ・ミニッツ」の試写会に、五反田のイマジカを訪れました。大学院時代に、「映画の現場は、ロケ現場と映画館だ」と思っていた私は、松竹系のシネコンでバイトをしており、必ず本編上映前に、このクレイアニメが流れるので、とても親近感のある作品です。そのシネコンは、飲んだくれて二日酔いで出勤とかしていた為に、クビになりましたが...。酷い話です。

 作者の伊藤さんが横浜を拠点にされていたり、試写室が藝大院時代に作った映画の試写会場と同じ部屋だったり、となんとなくご縁を感じます。

 土曜日は、大学時代に一緒に馬鹿騒ぎをしていた先輩が、横浜でDJをするというので、古い友人が誘ってくれて、ZAIMというイベントスペースに遊びに行きました。いや、格好良いDJだった。DJ PEECHBOYという名前で回しているのですが、名前から想像されるナンパな感じでは全然なくて、フロアをどっかんどっかん言わせてました。久々に踊り狂いましたね。腰が痛いです。

 そのZAIMで、横浜市より依頼があり「文化芸術の分野で起業する」といったテーマのセミナーで不肖、私筒井が講師役を務めさせて頂くことになりました。一体なにを話して良いものやら、こういった経験はあまり無いので、内心やや動揺しておりますが、横浜近辺の方で、ご興味ある方は是非いらっしゃってみて下さい。

 同じく横浜で、当社も関わらせてもらっているPocketFilmsFestivalが、いよいよ今週末開催されます。結構メディアにも取り上げて頂いているようで、見かけた方もいらっしゃるかと思いますが、ケータイで撮った作品のみで構成される本邦初の試みです。みなとみらいと赤レンガ倉庫などのちょうど中間に位置する、使い勝手の良いエリアなので、横浜に遊びに行きがてら、どうぞお立ち寄り下さい。

 1歳を過ぎた娘を見ていると、人の本質は遊びにある、という言説には一定の真理があるような気がしてきます。かつて、ピーターパン症候群と揶揄された私ですが、良いじゃないですか、ピーターパン。いくつになっても、遊びのマインドを失わずに居たいものです。...その為には、体力ないとダメですね。フットサルとかしようかな。

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