たくさんの、ほんとうにたくさんの被災した方々を思い、お祈り申し上げます。
瓦礫の中で、放射線の中で、必死の作業を続ける方々に敬意と感謝を記します。
1週間、世界が固唾を飲んで日本を見つめた。
3月11日、僕は大手町にほど近い、欧州系企業の日本法人であるお客さんのオフィスで
打ち合わせ中だった。はじめは「デカいなあ」などと悠長に構えていたが、益々大きく、
長く続く揺れに、誰からともなく会議室のテーブルの下に潜り込んだ。
窓の外では、近隣のビルがゆらゆらと揺れ、眼下の首都高がストップしている。
丁度その直前に本社から訪れた幹部は、オフィスに呆然と立ち尽くしていたが、その足で
成田へ直行。本国にとんぼ帰りした。
交通網が麻痺した丸の内を歩き、とりあえずコーヒーでも飲もうと入った丸ビルの
エレベーター前に黒山の人だかりができていた。モニターが中継を流している。
津波が町を押し流していく様に、皆ただ声もなくぽかんと口を開けて見上げている。
そのときまだ誰も、その後の展開を予想した人は居なかったんじゃないか。なにか
とんでもないことが起きている...という感覚は、そこに居る皆が無言の内に共有していた。
電話は繋がらない。電車も動かない。
辛くも捕まえたタクシーで横浜へ向かうも、有楽町から実に6時間。どこもかしこも酷い
渋滞。窓の外には延々と続く、人、人、人、の列。
家の中は、多少物が落ちて割れたくらいで済んだようだった。ただ、壁と天井にクラック
週末は、仕事が片付かずオフィスに出たり、かねてから約束していた旧友の新居を
訪れたりしていたが、どうも原発が尋常ではない事態に陥りかけているらしい、という
印象が深まる。
水素爆発の起きたあたりから、海外にいる友人たちより立て続けに連絡が入る。
安否の確認というよりも、一刻も早く日本を出てくれ、せめて東京を離れてくれ、と
いった警句がほとんど。どうも、海外メディアの論調と日本のそれとにギャップがある
らしいな、と感じ始めていた。
週が明けて、金融、IT、メーカーといった外資系企業に勤める友人たちから駐在員が皆、
本国への帰国命令を受けて成田に向かっている、関西支社まで退避しているといった
情報が入ってくる。どうも、やはり、ただ事ではないようだ。
オフィスには出ているものの、どうにも仕事に身が入らない。
そして、東電の会見。あれはなかった。なにがなんだかちっとも分からない。私たちは
なにか隠しているんです、と言わんばかりの噛み合わなさ。あるいは、本当になにも
分からないんです、という状態なのか。
そうこうする内に、某大学で教鞭を取る友人の親父など、複数のアカデミック方面
からもアラートが出始めた。
容器が爆発して吹き飛ぶようなことがあれば、東京は被爆圏内に入る。
本当かよ。それマジでヤバくないか。さすがにそれは...。しかし、そりゃないでしょ
という事態が次から次へと起こり、完全に原発4基の制御は失われているも同然に見える。
茨城の実家の母と妹を、横浜に呼んだ。病院勤務の父は、病院そのものに退去命令が
出るまでは現場を後にする訳にはいかない、と言う。そりゃそうだろう、が、しかし...。
3号機はプルサーマル機である。プルサーマル機は、燃料にプルトニウムを用いる。
他の3基はウランのみだが、3号機だけはプルトニウムとの混合燃料を使っている。それ故、
万が一爆発でもしようものなら、その威力、毒性は他3基の比ではない。
中性子線が検出されたとの報道が出た。中性子線?核分裂が起きたときに出るもの
じゃないのか。核分裂反応が完全には止まっていないのか?それともなにかの拍子に
再開してしまったのか?
とどめは、乳幼児は大人の数十倍から数百倍もの確率で発癌し易いとの報。ウチの
娘は1歳と4歳だ。万が一のことを考えない訳にはいかない。既に、万が一なはずの
ことが連鎖的に起きているのだ。
連休に僕らは、羽田から飛んだ。
首都圏を離れて、いかに異様なテンションが空気中を満たしていたかを感じた。挨拶
代わりにその時、どこでどうしていたかと話す。ネット、テレビ、聞こえてくる人の会話、
車内や店内のラジオ、新聞、すべてが地震、津波、原発、地震、津波、原発...。
これが必要だ、これを買え、あれが足りない、あれを買え、あそこがヤバい、あそこを
出ろ...。
先週1週間、日本は本当に存亡の危機に立たされていたのではないか。Fukushima50
を始めとする人々が、決死の作業で、その淵から救ってくれたのではないか。
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9.11同様に、3.11を境に、日本も世界も変わるだろう。
これまで「起こるかもしれない」という前提だった事態が「既に起こった」事態になること
の意味は決して小さくはない。
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一昨年に読んだコラムが頭を離れない。ここに一部抜粋したい。
リーマンショック以降、低落した株価が持ち直している。いくつかの経済指標が底を打った。
世界経済は最悪の時期を脱したという楽観論が早くも流れ始めた。
だが、僕は思う。人類の危機は去っていない。むしろ深まったのだと。
理由は今回の恐慌が突き付けた「人間のありよう」を巡る問題は、まだ何一つ解決して
いないからだ。金融危機が我々に問うたことの本質とは、株価の高低やサブプライムローン
の是非ではない。人間の生き方、資本主義において傷付いた価値観や人倫をどう回復
していくかという根源的な問いだったはずだ。
例えばパソコンの操作一つで巨万の富を得る人がいる一方で、額に汗して働いて、生涯
貧しいままの人がいる現実をどう考えるのか。半径500m以内に路上に寝ている人がいる
のに、自分一人豊かな生活をすることが幸福なのか。今の事態をアメリカや一部の企業の
せいにして終わらせるのではなく、一人ひとりが腰を低くして、背負ってきたモラルや
生き方を自問するときだ。
寒空の下に見捨てられた人がいるのはおかしい、と異議を唱えたり、抗ったりすることは
無力だと最初から思わされてしまう何かが今の社会にはある。僕が一番恐れるのは、
そんな「無意識の荒み」ともいうべき精神の荒廃だ。
「無意識の荒み」 を生むのは「慣れ」だ。危機に直面したとき、この国では為政者も
メディアもすぐに口当たりの良い楽観論でコーティングをする。あるいは日常の延長の
ふりをして、すべてが円満に運んでいると思わせる。やがて、どんな災厄も日常化し、
人は慣れる。シニカルに自他を笑いながら、もはや現実を変えるために立ち上がろうとは
しなくなる。それこそ社会が抱える真の病巣だ。
2009.7.8. 日経新聞夕刊 辺見庸
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友人がfacebookで指摘していた。福島の原発は東北電力のものではない。首都圏の
電力需要を満たす為に、東京電力が設置した原発なのだ。
その事実もまた、なぜか横浜に戻った僕の頭を離れずにいる。



by 筒井 龍平(つつい り…
縁